沖手遺跡の全容解明を求める会(中世益田の遺跡活用を考える市民の会(けやきの会)では、平成25年1月24日、3月28日、4月18日及び4月24日につづき、平成25年6月6日に益田市長山本浩章氏に対し以下の 沖手遺跡の全容解明を求める要望書を追加分の署名3154名分(合計5336名)を添えて提出致しました。

以下にその要望書を掲載致します。ご覧ください。

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結(ゆい)平成25年5月号 壮大な歴史ロマンより

壮大な歴史ロマン記事

世界古地図

結(ゆい)平成25年5月号記事より

壮大な歴史ロマン「沖手遺跡(中世湊町跡)」 岩崎 健氏執筆

「フォトしまね」の平成24年度版の中におもしろいヨーロッパの古地図が載っていました。石見銀山の古地図です。その中に「Oxote」があります。これは沖手遺跡のことではないでしょうか。古地図はオランダ語で適当にしか読めませんが、次の日本語が当てはまりそうです。IAPAN(ヤパン)日本、MEACO(メアコ)都(京都)、OSACO(オオサクォ)大阪、TONSA(トンサ)土佐、BVNGO(ブンゴ)豊後、AMANGUCO(アマグォオ)尼子、TAXUMA(サツマ)薩摩等々。

 いつごろの地図かというヒントは「アマゴ」と読める文字から、戦国時代ではないかと思います。

 益田氏も乙子の佐毘売山神社から御神体を分幣して採掘している銀山に神社(国指定)を建て、益田氏自らも銀を取り出していますから、沖手の湊が銀を流通手段にしたところであれば海外に知られていたとしてもおかしくないと思います。海外交易もしていたことから、これは世界レベルの遺跡ではないでしょうか。

沖手遺跡出土の丸木舟

沖手遺跡出土の丸木舟益田市久城町に所在する沖手遺跡は、益田川下流右岸の平地に位置しており、益田道路建設に伴い平成16・17年度に発掘調査が行われました。平成17年度の調査では、中世の集落跡や弥生時代中期の水路跡が確認され、さらにその下層から丸木舟が2艘出土ました。

こちらをご覧下さい(島根県のサイトへ)

益田市遺跡略図

沖手遺跡発掘品