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沖手遺跡の全容解明を求める署名のお願い
中世湊町・沖手遺跡の解明及び
一帯の歴史的景観保全のための署名をお願します。
益田・高津両川の河口一帯に中世の湊町が広がっていたことをご存知でしょうか。近年、中須町から久城町に至る水田地帯から目を見張るような大規模できちんと整備された町並みが発見されました。益田川をはさみ西側の中須西原・東原遺跡と東側の沖手遺跡です。
注目されているのは、礫(れき)敷きの船着き・荷揚げ場、その背後の町並み、さらに倉庫群や鍛冶屋、鋳物屋などの建物が整然と配置され、福王寺をはじめとする五福寺等の宗教施設が控えるという見事な歴史的町並みを形成していました。これらは博多に次ぐ超一級の湊町跡として評価されています。
益田市はこの中世湊町群跡の重要性と歴史的意義にかんがみ、国・県の支援の下で国指定史跡化して保全・活用し、後世に伝える手立てを積極的に講じています。市民の皆様には、まずこのことを十分ご理解いただきたいと思います。
ところが最近、この中世湊町の広がる地域に商業地化の波が押し寄せています。そのため湊町の遺構や全体の景観が損なわれる事態が懸念されます。わけても沖手遺跡の一角に商業施設の建設計画が進み、緊迫した状態にあります。しかしながら、県・市当局はこの商業施設が沖手遺跡に与える影響は微小と見て、「調査不要・建設可」の判断を表明しています。これは適切な判断といえるでしょうか。私達は次のような理由から大いに問題があり、是正すべきと考えています。
理由1:建物予定地の地下には中世前半期の湊町跡や岸辺施設が眠っている可能性が高く、その詳細解明が必須であること。
理由2:このような方法が容認されれば、未解明な沖手遺跡の全貌が不明のまま次々と消え去る恐れがあり、同時に益田・高津両川河口の歴史的景観が大きく損なわれること。
理由3:中須町・久城町の中世湊町跡と一帯の歴史的景観は、三宅御土居・七尾城、医光寺・万福寺・妙義寺等の寺社群、今市中世船着場跡を合わせた中世益田を構成する重要な歴史遺産であること。
以上により、私達は商業施設建設予定地のていねいな調査実施による沖手遺跡の解明、中世湊町跡景観の保全に万全を期すよう市・県当局に市民の声を届け、要望したいと存じます。多数の方の署名をお願します。
沖手遺跡の全容解明を求める会
代表 石田貢三
連絡先:益田市幸町7-34 携帯:090-3379-8355
*左側は県、右面は市へ提出しますので両方に署名をお願いいたします。
*中学生以上の方が対象です。(署名用紙を増刷りし、輪を広げていただければ大変喜びます)
沖手遺跡の全容解明を求める要望書趣旨
中世港湾遺跡群・沖手遺跡の全容解明を求める要望書趣旨
平成25(2013)年5月吉日
島根県知事 溝口善兵衛 様 島根県教育長 今井康雄 様
益田市長 山本浩章 様 益田市教育長 村川修 様
[要望]
日本列島歴史上極めて重要な中世港湾遺跡群・沖手遺跡の全容解明に向けての調査を強く求めます。
[理由]
益田市は、第一級の中世資料、益田家文書刊行にあわせ、中世益田氏の居館・三宅御土居や七尾城の整備、さらに、高津川・益田川河口に展開した中世港湾遺跡群の一つ、中須東原遺跡の国史跡指定を目指しています。三宅御土居を中心とした益田地区が中世の政治活動の場であった一方、河口は経済活動の場でした。このように中世600年間にわたり、都市の全体像をとらえることができる全国でも数少ない地域として注目されています。益田市が「歴史を活かしたまちづくり」に取り組む所以です。
○ 沖手遺跡は益田川右岸の水田(久城町)に広がる遺跡で、平安時代の11世紀末から13世紀にかけて発展した中世湊(みなと)町跡。道路によって整然と区画された大規模な町割りが確認され、交易、流通の拠点として日本海沿岸部にいち早く出現した湊町として注目され、室町時代を中心に繁栄した中須西原・東原遺跡とともに、中世湊町の具体像を周辺景観とともにそっくり残した稀有な例として高い評価を得ています。
○ 益田川左岸の中須東原遺跡については、国史跡指定に向けて専門家による同遺跡整備検討委員会が1年間かけて遺跡の整備基本計画などをまとめますが、同委員会は港湾遺跡群の変遷の学術的解明や、周囲の景観保全も含めた一体的な保存を図ることの必要性を指摘しています。
○ ところが、一帯には商業地化の波が押し寄せています。昨年秋、注目されている沖手遺跡の一角に商業施設の建設計画が持ち上がりました。これに対し、市教委は施設の一部のみ発掘調査し、建物部分については県教委の判断に従い、調査抜きの基礎杭打ち工事で対応することを表明しています。もし、こうした対応に終始するならば、沖手遺跡は中心部分を含め、全体像の把握が不可能になります。
○ 沖手遺跡は1・9㌶が調査されただけで、それを遥かに超える面積が未調査です。よって、県教委に対しては判断の再検討を求めます。また、市教委に対しては、重要な水際部分を含めた商業施設建設予定地の調査を行い、さらに今後、中世湊町としての構造と性格を明らかにするために、遺跡全域の全容解明を求めます。
日本列島歴史上極めて重要な中世港湾遺跡群である沖手遺跡、中須東原遺跡、今市中世船着場の一体的な保存、活用は、県西部の特色を生かすために欠かせません。整合性のある文化財行政と都市計画事業にのっとり、「歴史を活かしたまちづくり」を進めていくことを強く要望します。
沖手遺跡の全容解明を求める会・代表 石田貢三
連絡先:益田市幸町7-34 携帯:090-3379-8355
*左面は県、右面は市へ提出しますので両方に署名をお願いいたします。
*中学生以上の方が対象です。(署名用紙を増刷りし、輪を広げていただければ大変喜びます)
沖手遺跡をめぐる経緯
これまでの経緯
- 1998年、1999年及び2002年度 山陰高速道路建設にあたり益田市久城町で試掘調査を実施、史跡であることを確認。
- 2004から2006年 島根県埋蔵文化財センターと益田市教育委員会が道路建設予定地1.9ヘクタールを発掘調査。
- 2010年3月 益田市教育委員会が市道中吉田久城線道路改良工事に伴う文化財発掘調査書「沖手遺跡」を刊行。
- 2012年10月 益田市教育委員会へ大型店舗出店計画に伴う遺跡状況について照会がある。
- 同年11月14日 第2回益田市文化財保護審議会において教育員会より出店計画の説明があった。
- 2013年1月24日 中世益田の遺跡活用を考える市民の会(当会)が益田市長、教育長へ遺跡の学術調査を要望する。
- 同年3月6日 第1回中須東原遺跡整備検討委員会において周辺を含めた景観保全を求めた。
- 同年3月19日 第3回益田市文化財保護審議会において全容解明を求める意見が出た。
- 同年3月28日 けやきの会(当会)が再度市長、教育長へ学術調査を求める要望書を提出。
- 同年4月2日 けやきの会(当会)で緊急集会を開催し全容解明を求める署名活動実施を決定。
- 同年4月5日 沖手遺跡の全容解明を求める署名活動を開始する。
- 同年4月18日 けやきの会が益田市へ全容解明を求める要望書を提出。
- 同年4月24日 沖手遺跡の全容解明を求める会が署名2182名分を益田市長に提出
- 同年4月26日 益田市より当会に回答をする。(従前の説明・回答)
- 同年5月11日 石西の文化を学ぶれんげ草の会主催の講演会「沖手遺跡と中世の湊」が開催される。
- 同年5月15日 島根県教育委員会へ署名・要望書を提出
- 同年6月6日 益田市長に全容解明を求める追加分の署名を提出。
- 〃 大規模小売店舗立地法(新大店法)による説明会開催。
- 同年6月10日 25年度第1回市文化財保護審議会開催
- 同年6月18日 島根県知事及び同教育委員長へ署名追加分提出予定
沖手遺跡
中世の大規模港湾集落
沖手遺跡は益田川の河口から約1.2Km遡った右岸側の低地に広がっています。平安時代末~室町時代(12世紀~16世紀)を中心とした建物跡、井戸、墓などが多数見つかり、中世の大規模な集落であったことが解ります。
注目されるのは、集落が道路や溝、柵列によって区画され、この区画に沿って建物が建ち並んでいることです。
この遺跡は計画性に基づき形成された集落で、「町」的な景観を持っています。そして、益田川河口部の潟湖に面した立地から、交易・流通に関わる人々が営んだ、日本海や益田川の水運を利用して国内外の遠隔地を結ぶ流通拠点として機能した遺跡と考えられます。なお、出土した遺物の量から中世前期(12~13世紀)に最も栄えた遺跡です。
遺跡全体の範囲は45,000平方メートル以上にも及ぶ大規模な遺跡と考えられ、遺跡の南側と東側は益田川の旧河道に面し、遺跡の一部には「専福寺」という寺院地明が重なっています。
※益田市教育委員会発行 「中世の益田を歩いてみよう」より抜粋
大型店舗の出店計画がある沖手遺跡の現況写真です。右側が今市川です。
平成25年4月14日沖手遺跡を益田川堤防より望む | |
平成25年4月14日沖手遺跡を益田川堤防より望む | |
平成25年4月14日沖手遺跡を益田川堤防より望む |