中須東原遺跡が国史跡に!!文化審議会が文部科学大臣に答申

平成25年11月15日(金曜日)に開催された国の文化審議会(会長宮田亮平)において、益田市中須町地内の「中須東原遺跡」を国の史跡とするよう文部科学大臣に対して答申がなされました。正式に指定が決定すれば、昭和16年のスクモ塚古墳、平成16年の益田氏城館跡に続いて市内では3件目の国史跡となります。

これまでの経緯

益田市では、益田川左岸北部地区土地区画整理事業にともなう発掘調査によって確認された「中須東原遺跡」について、この遺跡の持つ歴史的価値を重視し、権利者及び関係者のご理解とご協力を得て、区画整理事業の計画を一部変更し、遺跡の全面保存を図る方針を決定した上で、国の史跡指定を目指してまいりました。
昨年の12月から今年の7月にかけて、保存を図ろうとする範囲の大半の土地について、史跡指定の同意が得られたことから、文化財保護法第189条の規定に基づき、平成25年7月25日に文部科学大臣あてに史跡指定意見具申書を提出いたしました。

今後の予定

答申後、官報告示をもって正式に国史跡に指定されます。
今後は、12月1日開催予定の歴史を活かしたまちづくり講演会パート15や年度内に開催予定の史跡指定記念シンポジウム等を通して、中須東原遺跡の周知と普及啓発に取り組んでまいります。

遺跡の概要

  1. 名  称  中須東原遺跡(なかずひがしはらいせき)
  2. 所 在 地  益田市中須町28番地外
  3. 面    積  41,619.76平方メートル
  4. 関係権利者 79名(従前地・仮換地権利者の重複を除く)
  5. 概    要  

益田川河口部の砂丘後背地に立地する港湾を中心に発展した遺跡。発掘調査の結果、船着き場跡と見られる大規模な礫敷(れきじ)き遺構が長さ40メートル・最大幅10メートルにわたって確認されたのをはじめ、掘立柱建物跡や鍛冶炉・鉄滓(てっさい)廃棄場・墓・道路などの遺構が検出されました。

遺構の多くは14世紀から16世紀のもので、検出された道路遺構の位置や、隣接する中須西原遺跡の発掘成果・明治初期の絵図との比較などから、方形の街区が形成されていた可能性が高いものです。出土遺物には貿易陶磁が目立ち、中でも中国陶磁に次いで朝鮮半島産の陶磁器やタイ産の陶器が認められることが注目されます。中世の港湾遺跡で内容が判明しているものは少なく、港を中心に展開した町の遺構が良好な状態で残る点でも希有な遺跡といえます。

また、遺跡の最盛期は、中世益田の豪族である益田氏の強い関与が想定されます。『益田家文書』によれば、益田氏は水運と深い関わりをもったことが窺われますが、この文書と発掘成果を併せ検討することで、中世港湾遺跡の成立と展開や、さらには港湾を利用した交易の内容まで知ることができる重要な遺跡です。

中須東原遺跡遠景(赤線が指定範囲)

中須東原遺跡遠景(赤線が指定範囲)